東ラブ 第三章 『ロイヤルファミリー』

言いたいことがあるときに躊躇せずに言うことができるのは子供の特権。アメリカ人もそんなイメージが持たれている。

であるとすれば、あえて言おう!俺にもできると!

と、ザビの力を借りて、地球連邦軍に・・・よし、掴みはOK

 

言いたいことと伝えたいことが相反するとするならば、今回に関しては、前者。

ただ、言いたい。早く言いたい。

ジェームスキャメロン監督はシガニー・ウィバーに便りがち・・・というあるあるではなくて、代表という威厳を保つために、既にそんなもの感じられていないとするならば、なおさら、早く言いたい。

 

 

八村塁。

身長206cm、体重106kg、父親がベナン人、母親が日本人。アメリカのゴンザガ大学在学中(どこ?)。2019NBAドラフト一巡目でワシントン・ウィザーズ(MJもいたとこ)より指名を受けた。

我々と同じジャパニーズ。ポッと出のいわゆる超新星でもSUPERNOVAでもなくて、その存在は高校年代からとんでもなかったようだ。

ちなみに田臥世代の自分としては大変興味があり、いろいろと調べてみた。

田臥世代で引っかかってるようじゃ先には進まない。まあ、世間一般には松坂世代と認知されているかもしれないが、野球に関心が無い私としてはピンと来ない。能代で9冠の田臥世代。うん、しっくり。

八村選手は中2の夏には既に180cm、高校入学時で190cmと、紛れも無く持って生まれた才能を十二分に発揮しての成長と言える。姓はゴリゴリの日本名、名は今っぽい、どこと無く海の外でも受け入れられそうな、どことなくカーリーな(ヘアー)、どことなくベルディな、どことなくJリーグカレーな香りのする、完全にラモスしか連想できない縛りの効いた誘導。

ただ、外見は、こんな侍が当時の日本にいたら、間違いなく身分階級ももっと重用され、今尚その名残が残っていただろうと言わせんばかりのスーパーアスリート。もちろん差別などとは間逆の羨みにも似た感情さえ、なかなか努力が実らないザ・日本人アスリートにとっては抱いているものも少なくは無いだろう。

もちろん彼が持って生まれたDNAの恩恵に甘え、努力をしてこなかったのかといえば、120%NO!だろう。

が、やはり、スタートラインというか、ベースの部分でアドバンテージがあるのは紛れも無い事実だと思う。

そして、それがあえて取り沙汰されるのは、その昔鎖国的対外政策を行ってきたとされる江戸幕府の時代背景に由来するかといったら、いわゆる鎖国など行ってはいなく、ただキリスト教の布教禁止や幕府による国内の支配体制の確立、外交の独占を目的に、あえて制限していたと解釈されるようになってはいるので、必ずしもそうとはいえないが、少なからず起因しているだろう。

 

何が言いたいかといえば、諸外国のDNAを持った人々が、当たり前に国内で生活をし、当たり前に各業界、トップで活躍する社会ではないがゆえに、スポーツ界においても、トップレベルの国に比べたら、純血選手の割合が多い。殊サッカーにおいては、海外でプレーする選手、他国のDNAを持った選手も活躍するようにはなってきたが、もっともっと増やさないといけない。一国としてグローバルな社会を目指すなら、国民のその注目の先にある世界(業界)であらゆる人種のチームとしての姿を見せていかないと根っこは変わっていかない。まぁ、そんな簡単な問題ではないと思うけど。

 

というわけで、千載一遇のチャンスを勝ち取った八村選手には、是非とも最高の環境で更なる成長を願い、母国日本のさらなる発展の原動力となるよう期待したい。

 

と、死ぬまでに今日言いたいことの1/108が言えた。

 

キリスト教といえば・・・ご存知、ものみの塔。エホバの証人の手によって定期的に配布されるエホバの王国を告げ知らせる書。最近目にする頻度が減ったが、気づいたら投函されていて、ぱらぱらとめくり閉じてしまう。決してパラパラ漫画ではない。うん、もちろんあのパラパラでもない。もっと崇高的なもの。もちろん信者でもなんでもないが、カトリックの教えのもとユース年代を過ごした身としては、近からずも遠からずな存在として、決して蔑ろにはできない。かと言って、別に布教活動に賛同するつもりもなく、入会するつもりもないが、そして毎月月謝袋に入れて配布することも、ましてや子供たちに読み聞かせるなんて毛頭考えてないが、日々情熱もって子供たちに接してくれている若いスタッフ、KりやまKし君のポケットにそっと忍ばせておこうと思う。うん、神に感謝。(神に感謝。)

 

改元。

平成から令和になり、早2ヶ月が過ぎようとしている。

不思議なもので、もう慣れてしまっている。うん、この順応力。生き残るのは、最優秀でも、最強でもない。環境に適合したものだ。と、かのダーウィンも言っているように。この脱線の早さ、プライスレス。ゼロ円ってこと。ノーメリット。

 

一般に皇位の継承により改元されるのだが、皇室の動きもKKさんの一件もあり、色々とメディアで取り上げられる昨今、我が一族と皇室との繋がりにも捉えられるワンシーンがメディアで公開された。

 

 

 

 

 

 

見ていてこっちがハラハラするが、笑いに厳しい一族としては、これまた千載一遇のチャンスと思いながらも、世もすれば万死に値するであろう行為を思い描きながら、その後の穏やかな紀子さまのお姿に自らの僅かないたずら心も悔い改めた。

今回で3度目となるようだが、相変わらずの厳戒態勢で、緊張感はこれまた120%だと語るのは、瀬沼パウロ2世こと、瀬沼家の末っ子。

これまで末っ子に相応しいやんちゃっぷりを如何なく発揮してきた可愛い弟の晴れ舞台。気がつけば沖縄で生活をしている破天荒な人生。ただ、持ち前の可愛がられ体質を存分に活かし、現在は立派なホテルマン。姉さん、事件ですでお馴染み、プラトンではないが、これは要人御用達の某T国ホテルにて。残念ながら、上司は東堂マネージャーではない。もちろん先輩ベルボーイも、若かりし光GENJI赤坂晃も、小林稔侍もいない。お、ここにもサムライが・・・。

赤坂といえば、覚醒剤で・・・まぁ、悪いニュースでメディアに露出するよりも、こういった形で元気な姿を見られたことは、この上ない親孝行になったことは言うまでも無い。

 

 

 

と、54/108終了。

 

海外事情。

去る土曜日、ドイツで活躍している日本人指導者の講演会に行ってきた。

中野吉之伴(きちのすけ)さん。歳は41。犬の年齢で言うと、6歳から7歳くらい。

歳も近く、何より寄寓にも大学の先輩ということもあり、海外の育成事情にも興味があったので、勉強がてらお邪魔してきた。

得たものは、大きく3点。得たというよりは、自らの理念、信念との共通点を見出し、今後も継続して行っていくきっかけとなった感じ。と言っても、2つはハード面というか、現場の指導に関するものではなくて、本当に側の考え方の部分だが。

 

1つは、認知対象の捉え方。観ることの重要性ではなく、観るものの重要性を説いたもの。要は、観ることが大事なのではなく、観るものが大事だと言うこと。うん、あんまり噛み砕いてない。まあ、長くなるのでお察しください。

 

2つ目は、アンダーカテゴリーでの審判不要説。と言うか、自主的ジャッジングによる人間育成法。もちろんルールは大前提としてある。その中で、相手ありきのゲームの存在意義の認識と共通理解によるコミュニケーションスキルの向上を育む。要は、審判がいなくとも、自分たちで裁き、受け入れ、試合を進めていける力の育成。

 

そして3つ目に、全少と8人制に対する疑問符。ジュニア年代で全国大会なるカップ戦を行っているのは世界でも日本のみ。もちろん競争社会を勝ち抜く力の育成としては間違ったベクトルではないと思うが、この年代であまりに力を入れ込みすぎて、次のカテゴリーで継続してサッカーを楽しむ(楽しむことを継続すると言った方が正しい)子どもたちが、少なからず減ってしまっている。と、講師は懸念している。

そして、その原因の大部分は、サポーターであるはずの保護者の熱量だと続ける。あくまでもサポーターであるはずの存在が、いつしかプレーヤー以上に入れ込んでしまっていて、終わってみれば、燃え尽きてしまう子どもたちが多いと言う。

子供のために何ができるのか?と言う姿勢は素晴らしいと思う。

ただ、何をしなければいけないのか?という、ニュアンスは同じだが、ベクトルの強さと次元が違ってきてしまうと、勝つことだけを優先し、強要し、純粋にプレー(楽しむという意味で)できなくなってしまう状態に陥る。色々とデリケートな部分ではあるが、指導者目線と保護者目線という相違がある以上、このギャップは間違いなく1つにはなりえないかもしれないが、対象が子どもである以上は、どこであれ集団としてのチームに預けている以上は、そのベクトルを合わせていかなければ、育っていかないと言う結果に少なからずなってしまうと。

 

また、8人制を、あえてハチニンセイと表記し伝えてくれた。なるほど。サッカーではなく、ハチニンセイをしていると、海外目線からは見えるらしい。実際、国内にいる自分が感じるくらいだから、よっぽどのようだ。海外では、U13カテゴリーでは、9人制が主流。それは育成年代の頂点をU19カテゴリーに考えた上での途中段階として。その下はU11。と言うことは、もちろん、日本におけるU12、つまり6年生に当たる年代も含まれるということ。ここからは個人的見解だが、要は、上記の全少の存在が、そこのかかる大事な期間を邪魔していると言うこと。この大会があることで、スムースな育成プログラムの弊害になっているということ。それはユース、ジュニアユースカテゴリーを持つチームであれば、なおさら感じてしまう現実であろう。

いかなる趣旨を持って存在している大会なのかを探れば、スタートしている時代背景からして察するに及ばない。ただ、その色々な事情はこれからも継続して変わらないだろう。だとすれば、生き残るためにどっちの道を選択するかは、純粋な育成のためと言う観点からは外れてきてしまうのかもしれないのが残念なところだが、そう容易いものじゃないだろう。

 

と、気付いてみれば108つ。そう、除夜の鐘でお馴染み、煩悩の数。これは仏教由来で数の由来は諸説あり・・・別にこれと言ったとして108個あるわけではなく、多すぎて半分は被っているということもなく、まぁ、ウィキってみてください。いまいち腑に落ちないこと請け合いですので。

 

さ、無事、年も越したと言うことで、见。