さぼってました! これから更新頑張ります!
自転車で堤防を走っていていた時だ。
鬱陶しい向かい風にイライラしていると。
ふと、気が付いた。
いつの間にか空がオレンジ色に彩られ始めていた。
この時間帯は、少し前まではまだ青い空が広がっていたはずなのに。
そんな空を見て思った。
……あれ? 夏休みの始まりから一回も戯言書いてなくね?
と。
今までたくさんのブログを見てきたが、そのどれもが決まって、更新頻度がどんどん下がっていく。
そして最終的には一か月後くらいに「さぼってました! これから更新頑張ります!」とか書いてあって、で、また一か月後くらいに更新が止まり、閉鎖されるのだ。
あーあー、継続性がないなぁ。文章書くだけだろ。書けよ、更新しろよ。そんな大変じゃないだろ。
……そう思っていた時期が私にもありました。
いや、普通に、地味に、継続して更新するのは大変だなと思い知らされた夏休みでした。
頑張って更新しようとしてたんだよ? 本当だよ? でもさ、私の場合、変に長文を書くもんだからまたさらに大変なわけで。
じゃあ長文とか書くなよ……。
さて、この夏休み、と言っても夏休みはとうの昔に過ぎ去っているのだが、夏休み~現在まで、いろいろなことを見たり、知ったりした。
例えば、県外のジュニアサッカーのレベルや、それを取り巻く現状。
また、単純なサッカー知識。
あるいは、特殊なポジションであるGKの知識。
そして、地区から県トレセンの現場。
知ってよかったと思えるものばかりだった。
そしてこれからもずっと、いろいろなことを知っていこうとするだろう。
だって、知らないと、分からないままだから。
この世で一番怖いものは一体何だろう。
私は「知らない」ことだと思う。
見知った人間より見知らぬ人間の方を誰もが警戒するだろう。
見える悪意より見えない悪意の方が怖いし、直接悪口を言われるより陰口をたたかれている方がきっと心は傷つく。
得体の知れるものより得体の知れないものの方が恐ろしいはずだ。
そして、最もわかりやすい例が「死」である。
誰もが死を恐怖する。
それはなぜか。
その先に何があるか、誰も分からないからだ。
天国とか、地獄とか、死後のことに関しては諸説あるが、それでも結局、それらは気休めであり、空想の産物にすぎず、参考にはならない。
死。
自分の手足が動かなくなって、目が閉じられ、意識を失う。
その後に待っているのは何だ?
私という存在はどこに行く?
私の意思は?
今こうして何かを考えることが、思うことができている「私」という意思は、死んだ後どうなるんだ。
分からない。
知らない。
知ることが、できない。
だから、怖い。
知らないというのは、とても怖いことなのだ。
けれど、私は幸運なことに、それを知っている。
そして、私が何も知らないことを知っている。
私が知っていることなんて、サッカー関連だけでもほんの一部だろう。
自信がないわけではない。
単なる事実である。
何もかもを知った気でいる人間の方がどうかしている。
神様じゃあるまいし。
もっともっと知らなければいけない。
私たちは選手の未来を背負い、サッカー知識だけなく、その他色々を与える立場にあるのだから。
私たちが無知では、選手たちが何も知ることができないではないか。
サッカーとは何か。
トレーニングに大切なものとは。
攻撃に必要なものは? 守備に必要なものは? GKに必要なものは?
その考え方はきっと人それぞれだし、千差万別、人の数だけあってもおかしくないだろう。
だからこそ、その千の、万の、考え方を知る必要がある。
どこにヒントが、正解が隠れているか、分からないからね。
いろんな人とたくさんのことを話す。
国内から国外まで、様々なところからの情報収集を怠らない。
たくさんの資料や、文章を読み漁る。
そうして、たくさんの知識を蓄えなければいけない。
ただ、学んだその知識すべてを伝えるかどうかは、また別の話だが。
その情報が正しいのか正しくないのか。
伝える必要があるのかないのか。
言い方を変える必要があるのかどうか。
自らの頭の中でそれらを整理する必要はある。
サッカーの構造をより複雑に知ることができれば、選手たちにサッカーとはなんたるかを教えてあげることができる。
しかし、教える時はより単純に伝えなければいけない。
トレーニング理論を学ぶことができれば、選手はより良いトレーニングをすることができる。
けれど、その理論を選手に直接伝える必要はない。
GKの知識を蓄えることができれば、GKの知識と技術を教えることができる。
だが、それをすべての選手に伝えることはしないだろう。もちろん、知りたいと思う選手にはしっかりと伝えるだろうが。
きっと私はこれからも、いろいろなことを知るために、いろいろなことをしていくだろう。
若さという武器もあと数年で賞味期限切れになってしまう。
それまでに、たくさんの無茶をしなければ。
うん、もったいない。
以下、謝辞。
ここ数カ月間で、私にいろいろなことを学ばせてくれた皆様、ありがとうございました。今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。
そして、ここまで読んでいただいた読者の皆様。
書くことをさぼってすいません。相変わらずの長文ですいません。戯言を並べてすいません。
そんな文章を最後まで読んでいただきありがとうございました!
冷たい風が夏の終わりを告げている。
きっともう秋がやってきたのだろう。
それでも、何が終わろうとも、何が変わろうとも、私たちの歩みは終わらない。
歩いて、学んで、知って、伝える。
ただ、それをし続けるだけだ。
行く手を阻むかのように吹いている冷たい向かい風は、いつまでも止まない。
それでも、先に進むだけ。
――さらに進むだけ。