クリスマスを誰と過ごすのかって?
なーに言ってるの♬
K氏は、みーんなのK氏だから、今日も練習だよ(白目)
なんだこいつ。キモい。ウザい。
自虐的になっても現実は変わらない。
今日もしばらくすれば終わってしまう。
今年もまた、一人だ。
けれど、不思議と気分がよく、クリスマスソングが頭の中で流れている。
夜道に並ぶ街灯の明かりはほのかなキャンドルのように温かく、聖夜を優しく照らしている。
お願い事をすればサンタさんがプレゼントを持ってくる、幸せな夜だ。
願うこと。祈ること。欲しいと思うこと。
それはとても大切なことだ。
欲しいと願わないと、手に入れることなんてできないから。
最近、思うことがある。
ちゃんと練習するとは、なんなのか。
何をもってして真面目に練習しているというのか。
どんな姿がふざけていない、と言えるのか。
笑わない。
しゃべらない。
歯を見せない。
どれも違うと思う。
努力を努力と思ってしまったら、それはもう向いていない。
サッカーは楽しむもので、それが苦行となってしまったら終わりだ。
だから、練習中に笑顔がないのはあり得ない。
では、どこで真面目とそうでないとの線引きをするのか。
私は、勝利への執着だと思う。
単純な1対1のトレーニングであったり。
ゲーム形式であったり。
練習中にはどんなところにも勝敗が付きまとう。
スポーツなのだから、それが当たり前だ。
その中で、勝利を欲しているのか。
それが、真面目と不真面目の差だと思う。
欲すれば、そのための努力をするはずだ。
どうすれば勝てるのか?
何をすれば勝利できるのか?
失点しようとも。
どれだけ劣勢に立たされようとも。
どうすればここから勝利を手に入れられるか。
考えて、考えて、考えて。
実行する。
それをしない時点で、おそらく心の底から勝利など欲していない。
それはきっと、真面目とは程遠い。
逆に、それをしていれば。
どれだけしゃべっていても。
どれだけ笑っていても。
私は気に留めない。
だってその声は、きっと勝つために必要な言葉になっているだろうから。
だってその笑みは、勝敗を争うその状況を楽しんでいるものだろうから。
「意欲」
この言葉は、我がチームの中で一つの重要なキーワードとなっている。
以前四年生の選手たちにこの言葉を使ったら、頭の上に疑問符が浮かんでいた。
ディクショナリーで調べると。
『物事を積極的にしようとする意志。気持ち』
とある。
うまい下手なんてどうでもいい。
足が遅いだとか、体が小さいだとか、そんなものは些細なこと。
私たちが選手に求めるのは、意欲だ。
意欲。欲しいという意。
うまくなりたいという意思。
勝ちたいという気持ち。
うまさや勝利を、欲しがっているのかどうか。
欲しがることは大切なのだ。とても、とても。
実際、私たち人は常に欲を持っている。
人間は欲の塊だ。
ただ、それは別に醜くなんてない。
私たちが欲しがるものは生きていく上で、そして人生を楽しむために、必要なものだから。
だから、欲がない人間を生きているとは言えない。
活力のない、惰性で過ごす日常に生を感じることなんてできない。
それは死んでいるのと同じだ。
欲を持ち、貪欲に何かを夢中でやるからこそ、人は「なにかをやってる」という実感がわく。
生きていると思える。
そして、生きていると自覚している人間は人ごみの中にいようとも一際目立つだろう。
だから、他者に自分を知ってもらえることができる。
人は無自覚にそれに気づいていると思う。
だから誰もが日々の忙しさをアピールする。
Twitterには「仕事キツイ」とか「残業がー」や「全然寝てない」だの、そんな言葉ばかり溢れている。
世界に自分の多忙さを発信し、愚痴を呟く。
けれど、それはきっと心の底からの不満ではないのだろう。
本当に、どうしようもないくらいに大きな不満を抱えていたら、Twitterなんてやっている余裕なんかあるものか。
彼らは知ってほしいのだ。
自分は生きている。俺はなにかをやっている。
私はここにいると。
サッカーにおいても、少なくとも我がチームにおいてもそれは同じ。
俺はここにいると。
そうアピールしたいのであれば。
欲を持ち、貪欲にやることだ。
ボールを欲しがる。
そのために味方からボールを受けるために要求し。
そのために相手からボールを奪うために走り続ける。
そして。
うまくなった自分を欲しがる。
そのためにひた向きにサッカーを楽しむ。
最後に。
勝利を欲しがる。
そのために、考えて、考えて、考えて、やることをやる。
今日はクリスマスイブ。
白い息と共に欲しいものを吐き出すのもいいだろう。
でも。
もしも、願うものが与えられても。
もしも、欲しいものがもらえても。
意欲という自らの意思は自分でしか送ることはできない。
サンタさんでも、お母さんでも、お父さんでも、それを与えてあげられることは、きっとできない。
選手たちが自ら見つけるしかないのだ。
意欲を持つ。それが大前提。
意欲を持つことで、初めてスタートラインに立てる。
さて、今、胸を張ってスタートラインに立てている選手はどれだけいるだろうか。
白線を踏んだ時、やっと競争は始まる。
それまでは争いにすらなっていない。
だって、もう既に白線を踏んでいる選手は、別にスターターピストルを待たなくてもいいのだから。
フライングは大いに結構。
一人で走り続けちゃえ。
チェッカーフラッグを先頭で浴びるその時までな。
以下、謝辞。
ここまで読んでいただいた読者の皆様。
結局、またもや久しぶりの投稿となってしまいました。
なんと約三カ月ぶり。
もう多数の読者様は離れてしまっているかも……。
続刊がなかなか出せなかったせいで人気が落ちるなんてよくあることですからね。
まぁ、このブログにもともと人気なんてありませんけど!
そんな文章をここまで読んでいただきありがとうございました!
さてさて、選手たちはサンタさんに何をお願いしただろう?
サッカーボールか。
シューズか。
ゲーム機か。
それとも。
勝利か。
優勝か。
はたまた素晴らしい未来か。
あるいは、そのすべてか。
ただ、願っているだけでは手に入れることはできないが……。
けれど――。
ふと、空を見上げる。
何の変哲もない、雲が流れる夜の空だ。
流れ星なんて見えないし、白い雪がポツリと頬を伝うこともない。
ましてや、トナカイが空を飛んでソリを引いているところを目撃したわけでもない。
まったく特別感がない、いつもの夜。
それでも今日はイブだ。
願っているだけでは手に入れることはできない。
それはただの幻想で、必死に考えて行動し、そうまでしても夢が叶うことなんて稀だろう。
だから祈っているだけなんて酷く横着な行為だ。
けれど、明日はクリスマス。
今日くらいはそんな行為も許される。
祈ればその思いはたぶん届く。枕元には欲しいものが置いてあるはず。
――願いが叶うことも、きっとある。
さて、私もイブの夜空にお願いしよう。
欲しいものはたくさんあるが。
そうだな……。さしあたっては。
彼女が欲しい。