もうすぐ二月。
冬。
もう冬真っただ中である。
けれど、伊吹山は未だに雪で染まることはない。
気温はポカポカと暖かく、外ではお昼寝まで決め込むことができる始末。
机の陰に隠れているせいで、時々吹き荒れる風が足元を冷たくさせるが、自前のベンチコートをひざ掛けにすることでそれも防ぐことができた。
襟元を掻きあげて、顔を上げる。
暖かな陽光が目の前を明るく照らしていて、そのおかげで辺りがよく見える。
右のグラウンドでは少年たちが練習を。
左のグラウンドでは少年たちが試合をしている。
いろんなことを学ぶために、そして少しでも多くの選手の力になりたいと思い、この場所を求めたが。
チームを犠牲にするわけにはいかない。
こんな光景を見るのも、もう今年度限りでおしまいだ。
みんな、いい選手だった。
岐阜にはこんなにもいい選手で溢れているんだと驚かされたよ。
彼らを見出して切り盛りする我々も、もっと成長せねばなるまい。
左側のグラウンドで試合をしているのは6年生の選手たちだ。
たくさんの選手たちがグラウンドに立っている。
みんな、ひと味もふた味も違う、そんな特別性をもった選手ばかりだ。
どのチームの選手も、そろそろ進路を決めていく頃合いだろう。
重要な選択になる。
それが、自分で考え抜いた最高のものであるといいのだが。
職業柄、勉強のためにたくさんの物語に触れる。
そのおかげで、いろんな考えを知ることができる。
あるフランス人が、こんなことを言っていたらしい。
人は、賽子と同じだと。
――人は賽子と同じで、自らを人生へと投げ込む。
ジャン=ポール・サルトル。実存主義派の哲学者。
サイコロが出る目なんて誰にもわからない。
成功という目が出てくれれば最高だし。
失敗という目が出れば落ち込むだろう。
可もなく不可もなく、なんて目がでることもあるかもしれない。
ただ、自分で投げ込むことは、すべての人に許されている。
どの方向に投げるのか。
どんな力で、どんな投げ方で投げ込むのか。
自分で、選ぶことができるんだ。
立場とか、境遇とか、環境など、人それぞれ違いはあるけれど。
でも、投げることは、できる。
だから人は、自由なのだ。
それを妨げることなど、してはいけない。
友達が、親が、チームが、それを奪い取ってしまうなど、あってはならない。
もちろん、サポートはしてあげなければならないが。
投げる方向の選択肢を増やしてあげること。
足りない知識を与えてあげること。
あらぬ方向に賽子を投げようものなら、ちゃんと話してあげること。
そして、それが強い意志と決意の元で考え抜いた、素晴らしい選択であれば、それがたとえあらぬ方向だろうと尊重してあげること。
あとは、見守ること。
私も、今までたくさんの賽子を投げてきた。
この場にいようと考えたのも、その一つ。
何かを学ぼうと思った。そして、たくさんな選手の力になりたいと思った。
惜しまれつつも、それはたった一年で終わることになってしまったが。
そうやって、成長するためにいろいろなことをやっていかなければならない。
久方ぶりに、分析ルームに動画をアップした。
U10東海大会一回戦の試合だ。
分析することはたくさんある。
選手一人一人の足りないところ、良くなっているところ。
チームとしての課題。長所、短所。
などなど。
上げだしたらキリがないが。
それは他者の分析だけにとどまらず。
己の分析も、しなければいけない。
この動画では、特にPK戦の部分では、相手のうますぎるPKに「うますぎうますぎあんなん止めれるわけねぇだろうがぁぁぁぁぁ!」と手を大きく振ったりとか。
もう神に縋るしかないと手をすりまくって拝んだりとか。
緊迫した空気が落ち着かずベンチの周りをぐるぐる歩き回ったりとか。
それでも落ち着かず地団駄を踏んだりとか。
勝利が決まった時に走り幅跳びでもしてるんですか? って感じに飛んだりとか。
そんな私の姿が映っていた。
……なるほど、精神年齢がどうのこうの言われるわけだ。
幼稚すぎるな、私は。
いや、そんな分析はどうでもよくて……。
いやどうでもよくはないかもしれないが。
だって、もう25歳になるんだ。四捨五入したら三十路である。
大変! もうおっさんの仲間入りじゃないか!
こんなこと言ったらまた怒られるぞ……。
精神年齢が幼稚で、にもかかわらず態度がでかくて30代に見られる25歳。なんだこのくそ野郎な青年は。
閑話休題。
そんな感じの。
指導歴もまだ6年目。他団体の指導者の方々と比べればまだまだペーペーの青二才ではあるが。
だからこそ、若さにかまけず、成長していかなければいけないのだ。
試合中に自分がかけた一つ一つの言葉は正しかったのかどうか。
それを分析し、次に生かさなければいけない。
まだまだ先は長いのだから。
けれど、先が長いと言っても。
若さはもう少しで枯れてしまう。
冗談を抜きにして、30を超えたら、もう無茶などできないと考えている。
だから私はまた一つ、賽子を投げた。
超特大のサイコロだった。
けれど、それは見た目ほど重くはなくて。
簡単に、投げることができてしまった。
きっと、私の意思がそうさせたのだろう。
協力してくれる人たちがいてくれたのもある。
大きな決断だった。
後には引き返せない。
もう、投げてしまったのだから。
コロコロと賽子は転がっている。
その目が何になるのかわかるのは、きっと十年後くらいになるだろうが。
……まぁ、なんとかなるだろう。
今までもそうだった。
人生リスクがあるから楽しいんじゃないか。
選手たちも、これからいろんな選択を迫られることになるだろうが。
なんとかなるって。
だから安心して、賽子を投げればいい。
そのあとは簡単だ。
やがて人生がすべてを決めていく。
その結果がどうなろうとも。
自分で選び抜いた選択なのだから。
悔いはない。
なぁ、そうだろ?
以下、謝辞。
更新頻度もまばらなこのクソブログは、果たしてどれだけの人が見てくれているのでしょうか。
重版された、みたいな報告があれば分かりやすいのだけれど。
アクセス数とか見れるモードもあるんです。
けど、なんと月額1000円も払わないといけないんです。
そんなお金があるわけもなく、払った結果「なんだ、全然見られてないじゃん……」と落ち込むことになったら最悪ですし……。
ただ、それでも。
我がチームの選手たちや保護者様はもちろんのこと。
他チームの指導者の方や保護者の方にも、直接、あるいは人づてに、このブログを見ているような言葉をいただきます。
そんな時、私は平然としていますが。
心の中では飛び跳ねております。
もうほんと、こんな自己満文章を読んでいただけるだけでありがたい。
楽しんで読んでいただけていれば幸いです。
別に「なにこいつわけわかんないこと言ってんだ」と批判してもらっても嬉しいです。
私の文章から何かを感じてくれただけで。
それだけで、書いている甲斐があるんです。
本当に、いつもありがとうございます!
人生は選択の連続である。
大きなものから。
小さなものまで。
誰もがその一瞬一瞬で悩んで、考えて。
そうして、みんな賽子を人生へと投げ込む。
コロコロと転がるそれは、いつ止まるのかわからない。
どんな目が出るのか知る由もない。
ただ、それまでの時間は、きっと永遠に続くような時間にも感じられるだろう。
現実で賽子を投げれば、結果が出るのなんて一瞬なのにな。
これは長い長い人生ゲーム。
賽子を転がしては進み、また転がして。
もうしばらくすれば冬も終わる。
新しい年度に移り変わり。
新たな生活に身を賭す日々がやってくる者もいるだろう。
ーーそれでも、彼らの遊びは終わらない。