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正しい答えを知るために。

 

 

 

 

……うん、言った。

 いや、言ったよ?

 確かに言った。

 

 休みが大切だって。

 休みが欲しいって。

 

 

 言ったけどもさ。

 

 

 これはちょっと長すぎじゃありませんかね……。

 

 

 なに、なんなの?

 

 伊吹山は未だ雪で染まらないって書いたら、数日後には雪が降るし。

 休みがないって書いたら、全国規模の学校休講要請があるし。

 

 あれか、このブログは未来日記か何かか。

 青い狸の秘密道具ですか。

 私は魔法少女かなにかなのかな?

 

 

 ここでバーモント県大会で優勝したいって書いたら、全国大会行ける?

 フジパンで東海行きたいって書いたら、県大会全部勝てるん?

 全日勝ちたいって書いたら、全国大会で素晴らしい結果が出せるんですか?

 

 

ただ、このブログにどれだけ特別な力があったとしても、日々の取り組み方が間違っていると、叶うものも叶わないだろうが。

 

 

 

 

 国が動いて、学校が長期休みになった。

生まれて二十数年、こんなことなかった。

大変なことだ。

 

 

 ただ、こんな時でも、いやこんな時だからこそ、落ち着いて、冷静に一つ一つのことを対処していくしかない。

 

 ま、まままままま待ておおお落ち着け、あ、慌てるんじゃない!

 このように、メンタルを整えることが重要である。

 

 

 しかし、落ち着いているを通り越し、学校が休みになったことを楽観視して、イオンモールに暇を持て余すお子様が大集合、なんてことには絶対になってはいけない。

 

 

 がっぽりと空いたこの時間をどう使うべきか、考える必要があるだろう。

 

この前ブログに書いたように、ただやればいいというわけではない。

 質の高い「いつ」「何を」「どのように」を追及していくことが大切である。

 

どうすれば自分が、チームが、成長できるか、それを見つけ、行動に移さなければいけない。

 

 一応、木曜日のミーティングの時にこの休みをどう活用するべきか、家での課題やするべきことは話してあるが。

 

 それプラス、自分でも必要なことを見つけないと。

 

 見つける方法はたくさんある。

 何がキッカケになるかは、人によって違うだろうけれど。

 

 サッカーの動画を見ること。

 人に聞くこと。

 人と話すこと。

 チャンスがあればスペインにでも行って、自分の力を図ったりすることもあるかもしれない。

 

 

 ただ、何をしようとも、最終的に行動が変化しているかどうかが、成長の証となる。

 

 口でなら誰だって言える。

 ただ、行動に現れていなければ、変わったとは言えない。

 

 うまくなりたい。

 強くなりたい。

 変わらなきゃ。

 そうか。じゃあ、やることをやるべきだ。

 

 

 行動こそが、人の本質を表してくれる。

 

 

 ライオンに追われれば誰だって死に物狂いで逃げるだろうし。

 

 空腹状態で目の前に好きな食べ物を差し出されたら誰だって食いつくだろう。

 

 うまくなりたくて、サッカーがしたくてたまらなかったら、ボールを持って外に駆け出すはずだ。

 

 

 それをしないのであれば、きっと何かが間違っている。

 なら、正しい在り方を見つけるまで、探し続けなければいけない。

 

 一つの行動という結果を出し、それが君たちの目指すものに届くことのない間違ったものであれば。

 

何度でも問い直そう。

 

 君の本質を。

 君の答えを。

 何度も、何度も。

 

 それをするためなら、一回の練習時間をまるまる削ることもいとわない。

 

100%を出せる状態ではないのなら、練習をやっても意味はないから。

その状態になるまで、練習をしてはいけない。

 

 

優先順位が違うのだ。

 

 

 サッカーをするのは誰か。

 人だ。

 人なんだよ。

 

 

 我々はフットボールを教えるが、それ以前に、まず人としての成長を促していかなければいけない。

 

 勝つこと。優勝すること。プロを輩出すること。とても大切な目標だ。

 ただそれ以上に。

 

 サッカーと向き合う子供たちが人間として成長すること。

 

 それが一番重要なことなのだ。

 

 それがなければ本当の上達などありはしないし。

 逆にそれがあればどれだけでも上達するはずだ。

 

 人として成熟しつつあれば、どんな時でも行動原理に変化はないだろうから。

 

 一週間休みになろうが。

 学校があろうがなかろうが。

 日常が変化しようとも、非日常になろうとも。

 チームが変わり、環境が変わっても。

 

 きっと、何も変わらない。

 

 いかなる時でも自分に必要なことを模索して、そしてそれを行動に移すはずだ。

 

 故に「人」としての成長が最優先事項なのだ。

 

 だから、それが必要だと感じた時には、サッカーに時間を費やす前に、問わなければいけない。

 

 なぜここにいるのか。

 なにがしたいのか。

 どうなりたいのか。

 

 いつも見ているのはうまさじゃない。

 体のでかさでも。

 足の速さでも。

 頭の良さでもない。

 

 シャツの下だ。

 

 

 シャツの下には、いつも人がいる。

 

 

 だから、話すんだ。

 どれだけ時間を費やそうとも。

 必要な数、必要な分、必要な時間だけ。

 

もちろん全員に言う必要があることは、全員に伝えるが。

 きっと、全員に同じことを同じ分だけ言うことはない。

ある選手にはあることを言って、ある選手にはあることを言わず、別のことを言う必要がある。

 

 人はみんな違うから。

 

 

 だから、押し付けることはしない。

 

 

みんなに向かって「ふざけるな、ちゃんとやれ!」と怒鳴りつけ、押し付けるのは簡単だ。

 楽だしね。

 

 そっちの方が簡単に、結果が出ることもあるかもしれない。

暴力や、暴言や、その他、昔よく行われていたようなことが今もなお時々行われていると耳にするのは、そっちの方が簡単に結果が出るからだろう。

 

怒られるのが怖いからちゃんとやろう。

そうして汗水垂らして走り回って。

 そうすれば変わったように見えるかもしれない。

 

 

 でも、それはその場しのぎだ。

 きっと根本は何も変わっていない。

 

 それで結果が出たとしても、間違った過程で得た結果などに意味はない。

 

 それは「お金が欲しいから強盗しよう」と言っているのと同じさ。

 

 

 怒ることはない。

 怒り狂って、怒鳴りつけることなんてない。

 

 本当だ。

 本当に、本当さ。

 怒っていないよ。

 

 自分で言うのもなんだが、最近私は変わったように思うんだ。

 いつもグラウンドには、まるでガンジーのように優しいコーチがいる。

 

 

 だから、もし私が怒っているように見えてしまっていたのなら、それはきっと私の責任だ。

 

 

 怒ることはない。

 

 怒りに任せて怒鳴り散らしても、きっと選手の中に残るのは恐怖だけ。

 何も知ることはできない。

 

 だからただ、話すんだ。

 

 事実と、現実を。

行動という結果を。

そして、行動には必ず理由があり、選手がその行動を起こしてしまったその理由を伝える。

それがどんな未来を引き起こすかを話すんだ。

 

それがきっと、選手たちの心に一番突き刺さると思う。

 すべてを知ることができるから。

 

 

 そのあとに、彼らの答えを、私はただ待つ。

 私の望んでいるのは会話だ。

 

 欲しいのは当り障りのない言葉じゃない。

 答え。

 

 ボールを投げた後、そのボールが返ってくるのをいつまでも待っている。

 十分でも、一時間でも、ずっとね。

 

 

 人はなぜ他の動物と一線を画すのか。

 

 言語という、素晴らしいものがあるからだ。

 事細かにいろいろなことを伝え合うことができる。

 

 だから、会話なくして、人としての成長はないのだ。

 

 

 ただ、安心はしている。

 

 常に信じていることがあるんだ。

 

みんな上達したいと思っている、ということ。

 

だから、何度だって答えを間違えればいい。

 何度でも、何度でも。

必要な数だけ間違えればいいんだ。

 

 だいじょうぶ。

 問題なんてないよ。

 

 そのたびに、問い直すだけさ。

 

 

 

 以下、謝辞

 

 長期的な学校の休み。

 そしてサッカーだけじゃない、たくさんのスポーツの活動が休止になり、それは我々のチームも例外ではない。

 

 そして、私も。

 更新頻度はぐっと上がることでしょう。結構暇な時間が増えますから。

 いやまぁわかんないけど。もしかしたら普通に書かないかもしれん……。

 

 まぁもし書いてたら、暇つぶしくらいにはなっていただけたら、それだけで嬉しいです。

 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 そんなつもりじゃない。

 そんな思いで行動したわけじゃない。

 本当にうまくなりたいと思っていたけど、頭が動いてなかった。

 ボケっとしていた。

 気づかなかった。

 

 

 いろんな思いがあるだろう。

 

 でも、それが結果だ。

 

 誤解は解けない。

 解が出た時点で、もうそこで問題は終わっている。

 結果が出てしまったのだ。

 それ以上、解けるものはない。

 

 答案用紙の書き直しはできない。

 提出すればもうおしまいさ。

 

 

 なら、もう一度問い直すしかないだろう。

 

 

 誤解は解けない。

 間違った答えはきっとそのまま。

 それを過去のものにしたいのなら、新しい答えを見つけるしかない。

 

 だから、何度でも問い直そう。

 

 

 

 ――正しい答えを知るために。